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総務省を辞めた理由

 こんなタイトルで記事を書いてみますが、別に給与明細を公表したり、職場の悪口を言ったりするつもりはありません。人生の選択として、新卒で就職した総務省を辞めることにしたが、別に総務省が嫌になったわけではないからです。むしろ、総務省の先輩は尊敬できる素晴らしい人格者ばかりだったし、仕事もうまく回せていたと思います(自分で言うな)。明らかなマイナスポイントは、パソコンの動きが流行りはじめの和製スマホ並みに遅かったことと、空調が弱くて夏場は猛暑だったことくらいでした。

 夢が複数あった

 大学時代は法学部でした。法学部生の主な進路は3つ。

  ①法科大学院進学の後、司法試験を受けて法曹(弁護士等)になること

  ②国家公務員試験を受けて省庁に入ること

  ③就職活動をして民間企業に入ること

 

 東京大学特有の2年間の教養学部生活を終えて、3年次に法学部に進学した頃から進路について真剣に考え始めましたが、何でもやりたがりだった私は、法科大学院進学のための勉強をしながら、日本銀行や政策投資銀行(DBJ)など5社くらいの就職活動を行い、時期になれば国家公務員試験も受けました。

 世間知らずだった私は、学部3年後半の民間就活に際し、何段階か進んだ後の面接で、正直に「司法試験の道も考えている」といった発言をした結果、さすがに内定を得ることはできませんでした(黒歴史)。

 4年次の5月に受けた国家公務員試験では、なんとか基準をクリアし、その後行われる省庁独自の面接(いわゆる官庁訪問)でも、財務省・金融庁・総務省の順で周り、いずれも順調に進みました。自分の本音を隠しながら面接を受けていたわけではもちろんありませんでしたが、面接を通じて話を聞いていく中で、法曹への道よりも国家公務員になりたいという気持ちが強くなりました。特に、「人」の面で総務省への志望が強くなり、気づけば総務省の内定を獲得していました。

 内定獲得後、法科大学院の試験を受ける気はなかったと言えば嘘になりますが、内定者として次期の志望者の勧誘をしていくうちに、その気持ちも薄れていきました。また、4月から社会人となりうる立場として、学生時代しかできないこと(全国47都道府県制覇、世界一周旅行等)を行っていくうちに、法曹への想いは一切なくなった

 

と、当時の私は思っていました。

 満3年の社会人生活を迎えるにあたり、改めて総務省での仕事を続けることと、本来夢として目指していた法曹への道に切り替えること、どちらがいいのかを改めて考えた結果、後者を選択することにしたのです。

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